鋳銭司跡

 この地が鋳銭司と呼ばれるようになったのは、825年(平安時代)から約150年間、銭貨を鋳造した役所(今で言う造幣局)があったからです。
 残念なことに10世紀中頃、この役所は当時瀬戸内海を荒らし回っていた藤原純友という海賊に襲われ全滅しました。遺物は一部鋳銭司郷土館に展示してありますが、今も国道2号線と(株)積水ハウス工場の間にある国指定の広大な史跡の地中に眠っています。
 山に囲まれたこの地を海賊が襲ったとは、今では考えにくいことですが、陶地区の潟上という地名の「潟」は海岸の地形を示す語句です。当時はすぐ近くまで海だったことがわかります。
史跡を南側から見た風景です。今は覆土されています。
南西にある解説板(クリックすると画像が大きくなります。) 南東にある解説板(クリックすると画像が大きくなります。)
南から望む鋳銭司跡 昭和48年3月13日国指定の標柱

鋳銭司跡の全景(建物は積水ハウス(株)、鉄塔左側のくびれは陶峠に至ります。)
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