皇后岩(大村)
仲哀天皇の皇后である神功皇后は、九州の熊襲を退治するため、天皇と共に西下されました。
天皇はそのうち崩御されたので、皇后自ら男装されて熊襲を攻められました。
しかし、熊襲を助けている新羅があることを知られ、新羅に兵を出されることになりました。
この大村はそのころ海でしたので、皇后はここで舟戦の演習をされました。
この岩はそのとき、神功皇后が腰を掛けられたという伝説があります。
皇后岩(名田島)
名田島の田圃の中にあって皇后岩といわれている史跡です。 すぐ南側を国道2号線が走っていますが、1626年に築造された長妻開作にあって、埋め立て以前の遠景は素晴らしかったと思われます。