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大師寺(一番札所) 秋穂88ヶ所霊場を設置したのは性海法印です。性海は寛保2年(1742)秋穂の地に生まれました。8歳のとき、秋穂の遍明院に入り、得度して性海と名乗りました。20歳のころ、高野山に上り真言密教の習得に専念し、帰郷して遍明院第8世の住職となりました。 この性海法印は、人々が四国に渡らないでも、身近なところで88ヶ所霊場巡りができるようにしたいと常々思っていました。それで42歳のとき、供一人をつれて四国88箇所を巡拝して霊場毎に御本尊の御符と、土砂を受けてこれを持ち帰り、秋穂地方に霊域を定めて、土砂を散布し、尊像を安置して、秋穂88ヶ所の霊場を設けました。 性海が住職の遍明院は、秋穂正八幡宮の社坊でしたので、性海はその八幡宮境内の大師堂をまず第1番の霊場と定めました。正八幡宮境内に大師堂が創建されたのは、四国霊場勧請の年より121年前の、寛文3年(1663)のことです。秋穂・二島の真言宗寺院側の申し出で境内に2間四方の大師堂を建てました。その後、古宮時代から境内にありました弥勒堂を再建することになり、この時、お堂を4間四方と大きくし、大師堂と相堂にして、一緒に祀るようになりました。よってここに1番札所が置かれても、弥勒堂の本尊弥勒菩薩を本尊として今日に至っています。この大師寺が真言宗の寺院として独立したのは、昭和27年のことです。 |